くにあすDiary✴︎

思ったことありのままに書く〜

強さと弱さ

 

 

病気になってから

なんで自分はこんなにも弱いんだろー

って思う事が何回もあった。

 

悔しいと何回も思った。

 

けど、最近、一度どん底に近い状態まで落ち込んで

そこから何とか持ち応えた。

 

その時に気付いた。

自分は、何回転んでも立ち上がる強さを持ってるんだって。

病気になって最初も弱い自分が悔しかったりした

けど、向き合って、闘って、苦しいながらも必死に

その時の感情と向き合ってきた自分がいる事を思い出した。

 

そして、落ち込んだ時に話を聴いてくれる友達、

笑わせてくれる友達がいる事にも気付いた。

本当に周りに恵まれていると思った。

 

自分の弱さを誰よりも理解している事

倒れても立ち上げる強さを持っている事

周りに恵まれている事

 

それは逆に強い事なんだと思った。

ある人からこんなに弱いと思ってなかったと言われたけど、

人が考える強い、弱いの定義は人それぞれで

でもその中で自分が弱くもあり、強いという事を

知っているっていうだけでも十分、その人の強さ

なんじゃないかと思った。

なんか、その事に気付いてから自分に少し自信が

出来たような気がした。

 

まだ、人生の途中だから、

これからもっと沢山の人に出逢って

成長していくと思うと

それが楽しみにもなった。

 

 

今年は2020年!!

 

 

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

 

去年は環境がガラッと変わった事もあってか

自分が目指す軸がブレブレになってしまいました。

 

今年は、軸がブレないようしっかりと

芯のある生き方をしていきたいと思います。

 

去年、12月頃、向き合って出た答え

私は「対話」が好きだという事。

だからこそ、1人1人との繋がりや出逢いを大切に

していこうと思います。

 

その為、カラーセラピーの資格とカウンセラーの資格

を取ろうと考えています。

人と対話する為に必要なスキルを磨いていく為に

努力します。

 

見えてきた自分の軸、

それを大事に直感と行動力で

突き進んでいこうと思います。

 

 

 

 

 

体験した人にしかわからない感覚

 

 

 

こないだ、友達とランチに行ってきた。

その子は体調を崩して11月まで休職、

そして12月から復職をしてばっかり。

 

私も以前の職場で2度の休職、復職を経験していたから

少しでも共有し合って少しでも楽になればと思って連絡して

会って話をした。

 

休職している時はストレスが少し減り、楽に感じる。

けど、1日何もしないのも苦痛で仕方なかった。

だからその時になって初めて働ける喜び、有り難さを感じた。

 

そして復職してからも苦しい事はある。

他の人からの視線だったり、明らかに休職した事でブランクが出来て

少なくなった処理出来る仕事の量だったり、、、、

 

他の人の視線に関しては、気にするな、、、といわれても

気になる。むしろ休職中も気になる。

他の人が一生懸命に働いているのに自分は何をしてるんだろう、、、

って思ったりする。

逆にそういう事を気にしやすい性格だから

それは仕方がない。

 

元々の性格だから少しずつ「気にしない練習」をしていく

必要がある。

 

でも1人でそれを感じて苦しいーって思うのと

同じように感じる人が少しでも近くにいるのとでは

気持ちにだいぶ差が出てくると思う。

 

そういう場所を作りたいと確信した。

具体的にどういう場所かはまだはっきりとはイメージ出来てはいないけど

自分が味わった孤独感、喪失感、そういう思いを共有出来る居場所を

作りたいと思う。

 

 

 

感覚

 

今日、学生時代にお世話になったある方と

ランチをしてきた。

 

その方は、コーチングを勉強されていて、

終始、興味深い話をしていた。

 

適応障害になり、普通に働けなくなった事が

悔しいっていうのは、他の人と比較して焦っているからなんだと

気付いた。

 

こうでなきゃいけないというのが気付かないうちに

自分を縛りつけていたみたいだ。

だから、その型にハマろうと、自分をその型に合わせようと

してしまうから余計に苦しくなるんだと気付いた。

 

引き寄せの話にもなって、

最近、考えていた事が実現した事があるというと、

その方はそれはその場所からのメッセージを感覚で

受け取っていたんだよ、きっとっと言ってくれた。

 

私みたいに敏感になりがちの人は、

その場所の持つエネルギー、近くにいる人が放つエネルギー

を吸収しやすい、だから良くも悪くも影響されやすいらしい。

 

という話はここまでにして、

今日話をしていく中で一つ気付きがあった。

それは自分は「対話する」という事が

好きなんだという事。

 

好きであるはずの接客を今していても

物足りなさを感じるのはそこに「対話」

が無いからだと気付いた。

 

病気になった時、似たような境遇の友達から

連絡がきて楽になった経験、

誰かと話をしていてすっきりした経験、

1人じゃないと思えた瞬間、その一部を切り取ると

そこには誰かとの対話が存在する事に気付いた。

自分と、もしくは自分以外と。

 

対話をする事によって生まれる理解と、安心、共感

そういう場所をつくりたんだって気付いたし、

そういう場所に自分もいたいんだって思った。

 

これからどうするか、どうしたいかは

はっきりとは見えてないけど、

自分のしたい事が決まったから

今度はそれをもっと具体的にしたいと思う。

 

 

精神疾患とそれを支援する制度のはなし。

 

久しぶりにまた思った事をばーっと書きます。

というか、今日は自分が適応障害になってから

お世話になった制度について少し書きます。

 

関係ないやーとか思うかもしれないけど、

いつ何が起こるか分からないので少しでも

その制度の事、頭の中に入れてくれると幸いです!

 

まず、2017年の冬に倒れてから

翌年の1月に適応障害と診断された。

 

幻聴が聴こえる、動悸がする、

今までにないくらい精神的におかしくなり、

カウンセリングを受けたり、安定剤、睡眠導入剤をのんで

治療に励んだ。

 

精神疾患は心の病気だから、いつ治るか分からない。

それなのにずっと治療費を払い続けていたら膨大な金額の治療費に

なるので、その負担を軽減する自立支援医療制度』というものが

あると臨床心理士の先生から教えて貰ってそれを利用する事になった。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/jiritsu/gaiyo.html

 

 

この制度で自分がいつも行く病院、そしていつも処方箋を出して貰っている

薬局を登録するとその治療費、そして薬代の負担が減る、もしくは無料に

なるというもの。これを利用するだけでだいぶ負担が軽くなっった。

 

そして、もう一つ。

休職中は会社からの給料の支給はない。

その為、生活に負担がかかる。それを支援してあるのが、

傷病手当金だ。

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3040/r139

 

 

これは、病気、ケガ等を理由にやむを得ず、仕事を休職する事になった際に、

受けられるもの。

申請書を書いて全国健康保健協会に申請し、支給条件と合致すれば

休んでいた期間の傷病手当金が支給される。

自分は、1ヶ月ごとに申請し、元の給料の7割ぐらいを

貰っていた。

 

自分は病気で休職中、この2つの制度を利用して

お金をやりくりしていた。この制度があるというのも、

病気になってから初めて知った。

 

適応障害は、障害年金の対象には該当しなかったけど、

うつ病統合失調症などは障害年金の受給資格に該当する事も

あるので、何か自分が受けられる保健、受給する資格があるもの

を調べてみる、もしくは、心療内科の先生等に聴いてみると

いいと思います。

 

なってみないと経験してみないと

わからない事って沢山あるなーと

改めて実感。

 

これからもぼちぼち

自分が思った事、体験した事、

発信していくー。

 

 

 

ぽー

 

 

2017年12月27日に

過呼吸で倒れて救急車で運ばれてから

もう1年半ぐらい経って体調も落ち着いてきて

その間に自分が思った事、感じたこと、

ぜーんぶ書こうと思う。長いと思うので

時間ない人はここらへんでばいばい!笑

 

倒れて病院に運ばれて

呼吸が浅くなって病院の天井見ながら

あ、もう死ぬんだって思ったのは覚えてる。

それから3日間ぐらい精神的におかしくなって

それが翌年の2018年のお正月まで続いた。

眠れない、幻聴がきこえるが続いて

いたから心療内科にいってカウンセリングを受けた。

 

診断結果は適応障害

説明長くなるからざっくり説明すると、過剰に不安になったり常に

動悸が激しかったり。

でも精神障害の中では軽度なほう。

 

その診断を受けた時はまだ全然そんな実感がなかったけど

それから生活していく中で、どんどんそれを実感していった。

ただ外に出るだけで、動悸が激しくなったり、急に家族に対して

手を上げようとしたり、

それも記憶ないとかじゃなくて、おかしくなった時の自分を今でも

覚えてる。冷静になった時に人ってこんなにおかしくなるのか

って何回か思った。多分、その時期に会った友達何人かに、後から

いつものくにあすじゃないと思った。って言われた。

 

ちょうど、倒れたのが仕事して1年目の冬で、

2年目に向けて後輩もできるし頑張ろうと気合いを

入れていた時期だったから、そのタイミングで適応障害

になったのが最初、とっても悔しかった。いつも行く名護のビーチ

で初めて人目を気にせずに号泣した。悔しい。何で自分だけって思った。

今も思い出したら泣きそうになる。けど、後から知った。

こういう孤独感は誰でも持ってて、皆それと闘ってるんだと思った。

 

職場に復帰してからも明らかに前とできる仕事の量が限られてここでもまた、

悔しさがこみあげた。もう適応障害なってから何回も悔しい、苦しいって思った。

同じように悩んでいる友達と会って話して共感し合って楽になった。

それから何度か休職、復職を繰り返して、

人事の人から言われた「病気とうまく付き合っていく」

っていう一言で気付いた。

今まで自分は早く適応障害を治そう、治そう

としていた。焦ってたんだ。って気付いた。

 

それに気付いてからだいぶ心が楽になった。

適応障害になってから何百回泣いたか分からない。

苦しいって思ったか分からない。

死ぬのかなとも思ったし、もう死んでるんだっても

思った。けど、だからこそ今、良くなってきて

前と見える景色がだいぶ変わってきた。

もう人生何が起こるか分からないを実感したから

今を楽しもうっても思ったし、

人はそれぞれ何かしら闘っていること、そして人生色んな事があるけど

とりあえずそれは何か自分に気付きを与えてくれる為に起こっている事、

人に優しい人ほど、まず自分を大切にしてあげること。

人の事を理解する前に自分と向き合って認めて、理解してあげるのが

いかに大切かという事。何か自分から発信すれば、応援してくれる人も

いれば、批判、マイナスな事しか言わない人もいる事。でもそういう人に限って

何もしてない。口だけ動いている人だけだったりする。ほんとにミッフィー

してやろうかなと思う。笑

 

休養している間に本も読んだ。

物語系じゃなくてほぼ自己啓発本だけど、読んでて途中で

これ全部言ってる事一緒だ!ってなって面倒くさくてやめた。

ざっくり

行動しろ!って事だね、はいおっけー

ってなった。

 

あと最近実感したのは、もー前のくにあすがいかに

八方美人だったか。誘われていかなければこの人に

嫌われるんじゃないかって思ったり、とにかく周りの人に嫌われるのが

嫌で断れなくて、、、っていうのが多かった。

後からすごいぐったりして後悔したり。

 

でも、適応障害になって気づいたのは、

本当に自分の事を理解してくれている人達はそんな事じゃ

離れていかないこと。そういう人を大事にすればそれでいいやー

ってなった。

 

もうあれだけ死ぬって思ったけど

今、生きてるし、ブログ書いてるし、人生どーにかなる

って思ってる。簡単に考えているわけじゃなくて

ちゃんと向き合って、本気で生きる覚悟さえすれば。

本気で生きている人は、批判もされるし、応援もされるし

でもその批判すらもエネルギーにしてる。かっこいい人ばっかり。

自分もその仲間入りしたいと思う。

 

まとめきれないけど、平成という一つの時代も終わるので最後に

新しい時代に入って、時代も変わってきて

色んな考え方あるけど、昔から大事にされている考え方は

ずっと大事にされている理由があるっていうのは忘れちゃいけないな

と思った。変えるべきことと守っていくべきことをうまく見極めて、

次の世代に伝えていくのが大事だなと思います、最近。

 

だいぶ支離滅裂なのは

思っていること、考えていることばーって書いたから。

もうちょっと練習しますね。笑

 

とりあえず、これからは

スキップして楽しんでたらフルマラソン

完走してたっていう感覚でやっていきます。

 

それでは!

最後までお付き合いいただき

ありがとうございます!