くにあすDiary✴︎

思ったことありのままに書く〜

自分の弱さと向き合う

 

 

最近、また体調を崩して休みがちになっている、、

悔しいとか、苦しいの感情を通り越していて

自分でもどうしてこのぐらい頑張れないものか、、、

と思う時もある。、、

 

でもそれが今の自分の実力で

これ以上頑張ったら、2年前以上に酷くなる可能性もあるのだ。

 

だから少しずつ

セルフ・コンパッション(自分への思いやり)を

意識していこうと思う。

 

自分で自分を励ましたり、

周りの人の幸せを願ったりしてみると、

脳の思いやり回路が広がって

オキシトシンといういいいい成分が分泌されて

心も体も健康になるらしい。、、

 

だからそれを意識していこうと思う。

大丈夫だよ、きっと、

なりたい自分になる為にゴールを見据えていれば

と自分で自分を励ましながら少しずつ前に進む。。

 

 

 

分かりすぎる苦悩

 

 

こないだ、ハローワークで紹介して貰った

職場に見学に行った。

 

病院の施設見学で、担当する予定の精神科のデイケア

病棟を見学した。

 

閉鎖病棟というとすごい怖いイメージがあったが、

私がいったときは、作業療法士の人達と一緒に楽しそうに

ワークをする利用者さんがいて、楽しそうだった。

 

見学を終えて帰ってきた自分の気持ちは

感覚でいうとずっしりとした重いものだった。

 

3年前、病気になってすぐ幻聴が聞こえたりするぐらいまで

悪化した。

デイケアで出会った1人の男性も、幻聴が聞こえないように

作業に集中しているところだった。

 

その人を見てると私は苦しくなった。

この人はどのくらい病気と闘っているんだろう、

今どんな気持ちなんだろうと思うと

自分が病気と闘っていた時の事を思い出して辛くなった。

 

 

施設見学を終えて直後の私の気持ちは、

この場所でいい経験ができるかもしれないと

思っていた。

しかし、帰ってきてしばらくすると

心の底に溜まっていたモヤモヤが溢れ出した。

 

私は、精神疾患の経験者

だから、利用者の気持ちは共感できるし、わかる、

だからこそ、寄り添える事ができるかもしれないとも

思ったが、逆にわかりすぎて自分が辛くなるのではないか

とも思った。。

感情移入しすぎちゃう可能性もあるんじゃないか

と思ってしまった。

今日、施設見学で見たあの人達のこれまでの苦悩と

これからの事を思うと胸が苦しくてならなかった。

 

ここで一つの気づき、

自分は、カウンセリングを通して人助けをしたい。

と思っていたが、

それは、病気になった人ではなくて、

健康だと思っているけど、少し調子が悪い人達の

手助けをしたいと思った。

 

よし、これで一つやりたい事が

明確になった。

あとは、そういう職を探すだけ。

 

初心忘るべからず

 

 

3年前の2017年12月に適応障害で倒れた時の

Facebookを見て、あの時の気持ちを思い出した。

 

改めて投稿を読むと、当時の気持ちが込み上げてきて

涙が止まらなくなった。

 

仕事ができないもどかしさ、

どうしようもない孤独感、虚無感など

人生で一度も味わったことのない感情が

たくさん出てきた。

 

そしてその時に書いていたのが、

将来、心理カウンセラーになりたいと思っている自分、

逆に今この状況はチャンスなんじゃないか

と考えている自分がいた。

精神的にも身体的にも体がなかなか

うまくいかない時だからこそ

自分の気持ちと向き合うことで

将来、自分と同じような状況になった人たちの

助けになれるかもしれないと書いていた。

 

そこには、辛くても真っ直ぐ正面から

病気と向き合おうとする自分の姿が

文章から伝わってきた、

 

久しぶりに読んで、

過去の自分の頑張りを無駄にしない為にも

頑張ろうと思えた。

 

やりたい事をやる

 

 

最近、というか6月の第2週目に

カラーセラピーの資格を取得した。

 

元々、カウンセリングというか

「対話」に興味があった為、そのスキルの一つとして

カラーセラピーを取りたいと思っていた。

 

そのタイミングでカラーセラピーの講座を

やっている人を紹介して頂いたので

コロナが落ち着いたタイミングで連絡して

講座を受講した。

 

そもそも、

カラーセラピーとは、14本ある色付きボトルの中から

直感で色を選び、その色によってその人の内面だったり、人間関係

や理想がわかるというもの。

 

そして、このカラーセラピーの講座を受ける時に

インナーチャイルドセラピーという

ものを受けた、

幼少期の自分の心の傷を癒すという作業。

交互に隣り合ったイスに座って、幼少期の自分と大人になった

自分が対話をして心の傷を癒すという作業を始めてやった。

 

幼少期の自分は最初は小さく縮こまって泣いていたが、

大人の自分と対話をしていくうち、

顔が明るくなってくるイメージになった。

そして、いつのまにか涙が溢れていた。

 

やる前は、これからやりたい事をやろうとしているのに

人の目を気にして、ビクビクしている自分がいた。

けど、このセラピーが終わってからは、

「大丈夫、何とかなる」という意識に変わっていた。

 

はいはい、大丈夫、おっけーおっけーみたいな感覚。

 

って事でうまくいえないけど、

やりたい事をやる為に妥協しないように

しようと思います。

 

そして、座右の銘も見つかりました。

「桃李もの言わざれども下、自ずから蹊を成す。」

 

桃やすももは何も言わないが、その美しい花や実を慕って

人が集まり、その下には自然に道ができる。

その実のように、あなたも人を惹きつける人になりなさい

という事だ。

 

また、いつその気持ちが変わるかは分からないが

しばらくはこの座右の銘を胸に刻んで頑張ろうと思う。

 

 

人は人で磨かれる

 

 

昔から名言を見てノートに集めるのが好き

その中でも最近、好きな言葉は、

「人は人で磨かれる」

という言葉。

 

これまで生きてきた中で、いくつかの

ターニングポイントがあった。

その多くが、人との出逢いによってもたらされたもの

だと思うとこの名言の説得力が増す。

 

今も沢山の方に出逢い、

刺激を受けているが、

大学時代は特に沢山の人と関わった。

小さい頃、親戚にすら人見知りしていた私、

大学時代に沢山の方との出逢いによって

人見知りを克服していた。気づかぬうちに、

 

いつの間にか、人と関わる楽しさに気付き、

初対面の人でも自分から話をするようになっていた。

こういう自分になれる事が出来たのも、沢山の人に出逢い、

刺激を受けて、成長したからだと感じている。

 

沢山の人と出逢う中で、

この人のこういう所素敵だな、と思う人に

何人も出逢った。

そして、自分のお手本にしようと思った。

そういう事の積み重ねが

今の自分に繋がっているのかもしれないとも思う。

 

また、性格だけではなく、価値観、考え方も

人に出逢った事で幅が広がった。

視野が広がったとでもいうだろうか。

 

こういう見方もできるのか!!

と勉強になった事が何回もある。

 

そういう意味でも人は人によって磨かれる

というのは真実かもしれないと思う。

 

これからも、沢山の人と出逢って

コミュニケーションをする事で、

自分の可能性の幅、そして考え方の幅を広げていきたいと思う。

 

 

 

当たり前の幸せ

 

 

最近は、コロナウイルス

自粛モードが広がり、

仕事以外は家にいるようにしている。

 

新型コロナウイルスの症状の一つとして

味覚障害があるときいてから

ご飯を食べてきちんと味がする事に喜びを

感じるようになった。

 

あ、ちゃんとして味する、美味しいって。

コロナが感染拡大が広がっているにも関わらず、

どんどん幸福度が上がっていってる自分がいる。

 

コロナで自粛モードが広がり、仕事もなくなる人も

いる中で、働ける場所はとても有難い事だと感じるようにもなった。

 

そして、家にいる時間が増えた。

これまで以上に色んな事を考えるようになってきた。

これから自分がどうしていきたいか

とか考えるようになった。

 

けど、考えたところではい、すぐ行動っていう訳には

いかないのが今の現状。

だから、今は出来る事をやるのみだと感じる。

コツコツと、

 

メメントモリ

 

最近話題になった

100日後に死ぬワニ

を見て号泣。

 

「その日」まで何気なく続く日常。

それは、ごく当たり前の事なんだけど、

胸に刺さりすぎて苦しくなった。

 

適応障害で倒れて病院に運ばれた時、

闘病中に自分はもう死んでいるのかもしれない

って思った時、辛くてどうしようもなくて

苦しい、死にたいって思った時もあった。

 

人は産まれた時から死に向かっている

っていうのは本当にそうかもしれない

と思ったけど、私も含め、多くの人はその当たり前を

忘れて生きている気がする。

 

でも、病気になってから知った人生何が起こるかわからないという事。

だからこそ、楽しく生きる事を忘れちゃいけない

やりたい事をやろうって思った。

 

病気になってしばらくしてから

メメントモリ」という言葉に出会った。

らてん語で死を記憶せよという意味だった。

 

死ぬかもしれないという経験をしたからこそ

その言葉が胸に刺さって時々、出てきた。

 

100日後に死ぬワニの作者が伝えたかったのは

そういう所じゃなかったかなと思う。

 

そして、100日後に死ぬワニを見て思ったのは、

この先、自分の身内、友達や家族に「その日」

が来たら、自分は大丈夫なんだろうか

と少し不安になった。

 

これまで何回か、「その日」がきて

別れた人はいる。

でも、いつの間にかその人がいない生活に慣れてしまって

忘れてしまっている自分がいるから

身近な人に「その日」が来て、いきなり

別れが来る事が少し怖いとも思ったりした。

 

いずれは来る別れ。

それを知った上で自分は今、目の前の人、家族や友達に

何が出来るんだろうって思った。

優しくする、しか思い浮かばなかった。

 

これまで家族と喧嘩して言ってはいけない言葉を

言った事もある、そのまま別れが来ていたらきっと

ずっと後悔していただろうと思う。

 

いずれ来る「その日」

に対して、今、自分が出来る最大限の事をしていこうと思った。